京都ゆば長の湯葉造りの様子(水墨画)

随想 ゆば造り

「統計京都」 2003年3月号 巻頭ページより 
(現在地に移転前の冊子です)

 加茂川の畔に仕事場を移して早や五十年になり、朝に夕に比叡山や加茂川の色で季節の移ろいを感じ心癒されています。人は時間の余裕が出来ると山や川、海へと向うのは、人の祖先が大自然の中で暮らして来たと言う帰巣本能でしょうか。現代の私達の生活環境は申すまでもなく車と喧騒の中、時間に追われ、流され通しです。
 早く、より速くと、人が常に求めて来た文明や科学の発達とはこのことだったのかと驚愕を覚えます。地球環境の汚染と破壊を目前にして初めてその阻止へと動き出しました。生活の基準は、まず体に優しいことが第一条件であり、このことが自然を傷(いた)めないことだと感知したことは、遅ればせ乍ら、将に大きな一歩と言わなければなりません。
 さて、この様な自然の中で育まれた大豆を唯一の原料として加工されたゆばは、十三世紀の鎌倉時代後期に、禅僧により中国から伝来したとも、或いは古く仏教伝来と共に伝えられたとも言われています。その栄養価が僧堂生活には欠かせない必需食品でもあった様です。以来幾百年の伝承を経て今日の、ゆばの形になりました。
 午前四時と言えば四季を問わず、まだ冷気が漂う中、先代の親父は一番先に仕事場の外へ出て、空模様と気温を体で計っていました。「今日の天気は快晴だから、揚げるゆばも、少し厚めに」等と口には出しませんが、その結果、呉汁の煮時、釜の火加減、揚げ時、乾燥具合等を感知していた様でした。勿論昔の話で、食生活も今程、柔らかいもの指向ではなく、乾燥ゆばが生産の主流でした。ゆばと言えば、黄色い乾燥ゆばを連想されたものです。昆布、鰹節、干瓢、椎茸、ゆばと続き、どれも一度水戻しの後、ゆるやかな火加減でゆっくりと、時間をかけて煮ると、部屋中に穏やかな香りが、満ちて身も心も妙に落ち着くのを誰もが深い記憶の中にお持ちだと思います。大豆を一晩水に漬け石臼で擂り、薪や鋸屑(おがくず)で、ゆるやかに煮て出来た豆乳を、大きな平鍋で湯煎し皮膜を張らせ、時間など気にかけることもなく、日がな一日ゆば造りに勤しみ、それを苦痛とも感じない暮らしでした。

京都御所の建礼門(水彩画)

 時は流れ道具は全て、ステンレス製にコンピューター制御による豆乳自動製造器、ガスボイラーによる皮膜の形成と、部分的に機械化されましたが、揚げる技は昔乍らの職人の経験と勘によるものです。本来ゆっくりの作業が今や、時を追うが如く、より速くの作業へと変わりました。尤(もっと)も製品も乾燥ゆばから、生ゆば主流へと変化したことも一因ではあります。乾燥ゆばの旨味(うまみ)は天日乾燥で生じるグルタミン酸による処でしたが、生ゆばの旨味は、柔らかさと大豆の香ばしさが求められ、これが又、大変難しいことで、大豆、水、加熱温度との関係が、コンピューター制御に職人の経験と勘が加味され、まるでミステリアスそのものです。

 いつの時も率先して近代化を導入する人、頑なに拒む人、世の常です。いずれがより良いかは、決して一概には申せません。

 そんな私達の前に「京ブランド」と言う言葉が聞こえて来ました。この意味を、どの様に受け止めるかの判断は、とても大切なことだと思います。単に産地名や古い技法、歴史古事の説明書を、添付するだけではなく、例え機械化されようと、各地域の気候風土、歴史、文化等の醸し出すハーモニーを感じ取る感性を養い素直に伝える技術(すべ)が大切なことではないでしょうか。仮に万人受けする「旨さ」だけを追求しても、それは単なる「旨い食品」に過ぎません。その弊害こそ数えるに余りあります。世の中のあらゆる物質に恵まれている今日こそ、造り人は、何より歴史や文化を基にした、広い感性を身に付ける時だと思います。

 顧みれば「速さ」に追われる毎日であっても、全国各地から百花繚乱するブランド食品を造る人の、仄(ほの)かな想いを斟酌出来る心を持つ職人でありたいと念じています。

京都府湯葉製造販売事業協同組合   
ゆば長 二代 長井啓一    


以上、原文まま(読み仮名等を一部割愛)

「統計京都」 2003年3月号 巻頭ページより

(京都府総務部統計課 発行 No.366)

ゆば長