行かふ年も 又 旅人也。
「 片雲の 風にさそはれて 漂泊のおもひ やまず 」
幼い頃より、鴨川とともに 遊び育ちましたので
芭蕉翁 や 鴨長明 の言を俟たずとも、絶えずゆく川の流れを眺めておりますと
いつもと同じ、水鳥の影や 川面をわたる風の匂いにも、何かしら感じるものがあります。
季節の移ろいに映つる 水の色には、京都に暮らす生活(たつき)のリズムが刻まれます。
初秋のゆふぐれどき、下鴨神社での催事を終えて、北大路橋近くを そぞろ歩きました。
人を旅に誘ふ 行人のうしろ姿は
郷愁へのメタファーでもあります。
若き日の 幸田露伴が「 枕頭山水 」で
いかにも江戸っ子らしく
さっと旅に出た旅程は
母への信頼が通奏低音のように
感じられます。
人の行き交う橋の上には
そんな時の移ろいと想い出が
交錯するのでしょう。
「 ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる
私たちの恋が流れる
私は想い出す
悲しみのあとには 喜びがくるという
夜が来て 鐘が鳴り
月日は流れ 私は残る 」
フランスの詩人 アポリネールの詩 「 ミラボー橋 」 にも
セーヌの流れと時の姿が描かれています。
私の好きなシャンソンです。
レオ・フェレがとても素敵なメロディを添えました。
有名な、堀口大學の訳を、さらに私なりに意訳して暗誦しています。
Sous le pont Mirabeau coule la Seine
Et nos amours
Faut-il qu'il m'en wouvienne
La joie venait toujours après la peine
Vienne la nuit sonne I'heure
Les jours s'en vont je demeure
山の端に消えゆく光が
鴨堤の木々の葉っぱ越しに 細く長く 差し込んできます。
ゆふぐれの 美しいひととき。
堀口大學 詩
「夕ぐれの時はよい時」
「 夕ぐれの時はよい時。
かぎりなくやさしいひと時。 」
「 それは季節にかかわらぬ、
冬なれば暖炉のかたわら、
夏なれば大樹の木かげ、
それはいつも神秘に満ち、
それはいつも人の心を誘う、
それは人の心が、
ときに、しばしば、
静寂を愛することを、
知っているものの様に、
小声にささやき、小声にかたる …… 」
と 続きます。
時は流れる … 時は流れる。
愛を語らう恋人たちも
燈火に憩う一家の団欒も
今、この時にしか存在しえない。
そう、教えてくれる
詩人たちの魂に触れる
そんな ゆふぐれどき。